30日

朝から箸を使って、卵を割って、米を食べる。のりが味付けだったら言うことはない。
白鳥城は眠れる森の美女のお城に似ていて、ストームと名づけられたその日の気候は、お姫様の救済を拒むかのように吹き荒れる。絶好の写真スポットからの撮影は3分に限られていて、きっと人も景色も限りがあるから美しいんだろう。城の中はかわいらしくて、それでもやっぱり力強い。日本語ガイドがぎこちなくて、金色の白鳥と目が合う。日本のおばちゃんはとても強い。
草原の中にたつその教会は、僕とは異次元の世界で息づいていて、僕の感性とは違うところで作用する。ドアの開け方がわからない日本人に、キリストのことはわからない。
別れ際のカップルには色々あって、ルールを守らなかったりラガーマンを好きになっちゃたりお願いだから別れないでと言ってみたり。ただドイツの空港の人は一律愛想がない。ラガーマンを好きになってもいいから、愛想だけはなくさないでほしい。
白いソーセージとビールとお土産。ドイツの空気を溜め込んで、次はフランス。

29日

次の日。バスに乗って気づいたら到着。橋の上でみたお城はまるでホーンテッドマンションで、近くから見たお城はまるでタワーオブテラー。ディズニーでしか例えられない知識の浅さ。見たことも聞いたこともないおじいちゃんに連れられて、わけもわからずとりあえず笑っとく。茶色の街はスーパーサッカーのオープニングみたいで、雨がその淡さを強調する。晴れより雨は、その街の恐怖を助長する。恐怖は僕の心に違った感情で突き刺さる。雨でよかったと思う。
次の街。城壁に囲まれた街がいまだにその営みをやめることなく存在している。世界の終わりみたいなその街は、日本人がやたら多い。庭がかわいくて、生を取り囲む壁はなぜか暖かい。2月も終わりというのにクリスマス気分を存分に味わい、ガイドブックと同じ写真を喜んで撮る。またジャガイモを食べて、クッキーをぐちゃってしたものを食べる。クッキーをぐちゃってしたものは3日後まで残る。やむことなく降り続いた雨だけど、この街の雨は優しい。雨の効用も街によって変わるのだ。
もうホテルにつく時間になって、テレビに映ったマッチョはなぜか笑える。筋肉番付もこのくらいエンターテイメント性があれば、僕は見るのに。昨日は体まで洗えたシャンプーだったが、今日はハンドソープの役割まで追加されていた。僕がこいつだったら、プレッシャーで押しつぶされてしまう。

ドイツのこと 28日

前日に、夜も眠れないほどの恐怖に打ちひしがれて、気づいたら朝の5時。ガラガラをガラガラさせながら、充電の切れそうな電話と空を飛ぶことへの不安を抱えて、パスポートを見せる。気づいたら50円おばさんのグループに配属されていて、赤い手袋がなんだか愛らしい。期待していた機内食はもちろんチキンで、ジャッキーチェンはエッフェル塔から飛び降りる始末。10時発の14時着は、東京から静岡に行くよりも遠くて、名古屋に行くよりも近い。なんてことはない、時間は不平等に流れる。
お母さんの心配は後々に生かすことにして、千葉にも走っているというバスが曲がれるかどうかの心配をする。柵もガードレールも、速度規制すらない高速道路をひた走り、僕の目がいまだ出会ったことない景色についていけない。真面目すぎるコメントも、時に逆説となりうることを学んだ。
コーヒーを飲むところだと思っていた店はいつしかホテルになっていて、その隣のホテルに泊まる。頑張って起きてという今までにない激励を受けたので、水とソーセージを求めてぶらり旅。見る建物がいちいちかわいくて、見る子供がいちいちかわいくて、見る女性がいちいち素敵だ。どこの店にもソーセージがあると思っていたのは幻で、たしかにどの店にもスシテンプラマイコがあるわけではない。けどどの店にもビールはある。日本語すらもままならないのに、英語やドイツ語に敵うわけもなく、これから先無言になることを予感する。日本語を話せる外国人には魅力を感じないが、外国語を話せる日本人は素敵だ。初めて食べたソーセージはカレー味で、これから先ジャガイモは欠かせくなる。チップは忘れずに。
ボディーソープとシャンプーが一緒になっていたので頭を洗って流れで体まで到達。たしかに頭皮は肌であるとそんなCMやっていたけども、ごわごわの髪はいただけない。効率的にすることはとてもいいことだけど、利益を追い求めすぎる姿勢はきっと友達をなくす。

声の大きい人は嫌われる

朝から南の島へのチケットを手に入れるために、昨日と同じところに電話をかける。人生とは実にあっけなく、巧妙にできている。昨日のパソコンの前にいた時間を返してほしい。昨日の、今日への苛立ちを返してほしい。
ヨーロピアンになるまであと1週間をきって、僕の心は空を飛ぶことへの不安でいっぱいになる。沖縄2泊3日の旅より、燃油チャージ料のほうが高いのはどうにかしてほしい。人はあればあるだけ大事にするし、何かを持っている人が強いのだ。世界も石油を持っている国がやっぱり強く、僕らはお客として提示された値段を、黙って受け入れるしかない。
第一声でどうした、といってくれる友達が僕にはいて、僕のことを少しでもわかってくれようとする友達が僕にはいる。怖いことなんて何もない。後ろを振り返る僕を、前を向かせてくれる人が僕はいる。それだけで十分だろ?欲張りな僕を、僕が絶望しただけ。ただそれだけ。あればあるほど、僕は欲張りになってしまう。もう十分だろ?

外の中

人をうらやましがってしまうのが、僕の悪い癖だと感じます。僕を中心にまわっているわけではないのに、僕のいないところで僕の知らないことがおこるのが少し悲しかったりします。
特別自分のことが嫌いというわけでもなく、嫌いなところもたくさんありますが、好きなところも多少なりとも存在します。でもやっぱり嫌いです。
みんなの目にどううつろうが関係ない、なんてそんなこと思える強い人間ではありません。それが強さだとは認めてはいませんが。
誰かと誰かの間で息をしている僕なので、やっぱり僕のいないところで誰かと誰かがよろしくやるのは、悲しくなってしまいます。強さが何だかよくわかりませんが、弱さはまさしくこのことなんだと思います。

ダブルブッキング

僕は高校時代のサッカーの話をすることが大好きです。過去を美化する傾向がある僕なので、周りには迷惑をかけています。ただみんなベストパス、ベストドリブル、ベストゴールの用意はしておくべきです。僕のよさは、体力ないにもかかわらずビバリーをショートカットしてしまうところにあります。
いつものように、夜中の2時にさまよう姿は誰にも見られたくないですが、この3人が一番輝いている時間でもあります。もし見かけても声をかけないでください。

やる気のない2投目

あいかわらず僕は変わらないのに、あいかわらず時間は僕を置き去りにする。忘れてしまう時間だけど、忘れることから思い出ははじまる。
久しぶりに早起きをして、エスパルスのトレーニングシャツと、県選抜のスウェットに身をつつむ。あいかわらずいい人はいい人で、あいかわらずサッカーがうまい人はサッカーがうまい。旭川選抜より函館選抜のほうが強くて、でも北海道選抜のほうが強い。豚汁がそのまま汗になって、おしるこが僕の体力を奪う。
午前はボールを蹴って、午後はボールを投げて。明るいうちに僕の胃袋に入ったビールは、夜になると鏡月に変わって、しばらくしたら咳がとまらなくなる。何を話したかはあんまり覚えてなくて、とりあえず日に日にヨーロッパ顔になっていく友達とか、街中で鬼ごっこをやりたがる友達とか、13日に勝負をかける友達とか、ものすごい勢いでしゃべってものすごい勢いで寝る友達とか、キーパーなのにラリってた友達とか、赤ちゃんをみに行って帰って来なかった友達とか、19歳に恋しそうな友達とか、家族とご飯食べ行って彼女と会ってた友達とか、僕は幸せです。
たくさんきたあけおめメールが嬉しくて、今年もよろしくです。