二度寝

が昔から好き。昔って中学くらいから。高校時代は朝ごはんの時起こしてもらって、そっから30分ぐらい寝て仕度、みたい生活。休みも基本そんな感じ。寝るのが大好きみたい。二度寝の気持ちよさなんて体験した人なら確実にはまる感じだと思う。なんていうか…うまい例えが浮かばないからよしとしとこう。
今日もやった、二度寝。ってかやってやった。8時半におき、っていうか起こされ、10時くらいから14時くらいまで寝た。ってか寝てやった。レポートやろうかと思ってたけど、だってそのテーマが「ルソーの幼児期の生育暦が、彼に与えた思想的影響」ですぜ。そりゃなえますって。だから寝た。ってか寝てやった。
寝すぎはよくないみたいよ。だって猛烈な頭痛に苦しんでるから。なんにするにも適当が一番。「適当」ね。「適切に当たる」。わかってるって話。
そこから30分くらい読書して、レポートに挫折して、今にいたる。この何にもやってない感じ。「時間の流砂」に身を任せる。その流れが自分を運んでいく。「効用のない摩耗」。特に何を考えるわけでもなく、特に何をするわけでもない。もちろん何か生まれるわけでもない。とりとめもない時間に流れ。それにただ揺られるだけ。流水プールのような安心感に包まれながら、ただひたすら逆らうことなく流れ続ける。そんな時間の使いかた。その流れに逆らうように、ひたすら走り続けるのも時には必要だろう。振り返る余裕なんてないときだってきっとある。立ち止まるのが怖い時だって。「忙しさ」という盾に守られながら生活して一種のステータスのように。それすらも誇ってしまう自分に嫌気がさすとき。考える隙間さえ与えられない、そんな時間の使い方。
どっちが大事とかじゃなくて、どっちの生き方を選ぶとかじゃなくて。そんなんじゃなくて。バランスとかそんな安っぽいことも言いたくない。ただ疲れたら休めばいい。休んだら動けばいい。すでに安っぽいこといてるけど、流れに身を任せても、逆らおうと、確実に向かってるのはたった一つの「答え」。結末が見えた世界の中で平等に与えられた時間。生きるってその時間を一つに答えに向かって進める単純な作業。でも単純な作業なら、面白くすればいい。何なら複雑にすればいい。そんな時間の使いかた。
ただ時間の使い方について考えてみたくなっただけ。