将に来たるべき時

最近漠然とした不安が目の前に広がりつつある。何に対してかってのは、それは今であったり、それは将来であったり。今一番身近にいてくれる人がそういう時期だからってのもあると思う。その人はほんとにすごくて、自分の夢をかなえようとちゃんと動ける人。創造力、行動力を兼ね備えてる人。自分が誇れる人。でも俺が誇ったところでって感じだけど、尊敬できる大切な人。そんな人が身近にいてくれて、自分は何がしたいのかもよくわからない。もちろん漠然としたものはある。将来の理想像とか、多少なりとも想像力はあるつもり。でも動くのが怖い。動かないんじゃなくて、動けない。動いたら何かが崩れそうで怖い。崩れるほど積み上げてきたわけでもないのに、今の「普通」すぎる「つまらない」日常を変える勇気がでない。「まだ早い」って言い訳ばっかが先行して。
何かしよう。それは何だっていい。意味のない様に見えてもそこにはきっと何かある。無駄なものなんて何一つない。ゴミだって、それは有意義に使われたからこそゴミになったわけであって、ゴミそのものは何か動いた「証拠」。動く勇気をわけてくれる人ならたくさんいる。その存在が自分の「勇気」そのものだったりする。だったらもう動けるに決まってる。